NEWS

医史跡、医資料館探訪記31 日本精神医学資料館を訪ねて

東京都立松沢病院は現存する公立精神病院では最も古いもので、その病院のかつての夜間救急診療室と保護病棟だった建物が資料館となっている。資料館は予約制で松沢病院庶務課に電話の上で見学の届け出をする必要がある。日本で最初の公立の精神病院は、京都癲狂院(きょうとてんきょういん)であり、1875年(明治8年)7月に開院するが、経営難のため1882年(明治15年)10月に閉院となっている。松沢病院の前身は東京府癲狂院といい、公立の精神病院としては2番目に古く1879年(明治12年)に開院した。その後1889年(明治22年)に患者がその名を嫌って入院を拒否するからとの理由で、東京府巣鴨病院と改称された。初代院長は済生学舎の創設者である長谷川泰である。

五代院長呉秀三(くれしゅうぞう)は、『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』(1918年)の中で『わがくに十何万の精神病者は実にこのやまいを受けたるの不幸のほかに、このくにに生まれたるの不幸をかさぬるものというべし』と述べており、それまで座敷牢や拘束にに頼っていた精神病院を作業療法などを通じて自由な雰囲気なものに転換を図っていくのでした。

右写真:五代院長の胸像(松沢病院敷地内)

 

展示室では東京府癲狂院時代からの歴史について説明があった。やはり目を引くのは保護病棟である。監視窓のついた厚い扉の独居房で、部屋の一方は鉄格子となっている。監視窓のついたトイレ、壊されたり、破片で自傷行為をさせない目的でステンレス製の便器が印象的であった。

手を伸ばしても開錠できないようになっている。

 

自殺未遂などで措置入院となる場合には、このような保護病棟が必要なのはわかるが精神病院らしい病室だという印象である。これらの保護病棟も平成の最近まで使用されていたのである。

戦前は作業療法、灌水、持続浴など中心であったが、昭和30年代になると向精神薬が使用されるようになり大きな変革期を迎えることになる。灌水、持続浴は聞きなれない言葉だが、灌水は灌水籠(かんすいかご)に入れられた患者にじょうろで冷水を頭にかける方法で病性を選んで用いると説明にはある。統合失調症で妄想などがみられる場合、灌水は用いられていたようである。持続浴は体温と同じくらいの風呂に長時間入浴させて興奮を落ち着かせる方法だという。

手枷足枷(てかせあしかせ)という言葉を聞いたことはあるかと思うが、以前は精神病院で実際に用いられていたのである。

以下の写真は、手枷足枷の写真である。

電気けいれん療法に用いられた電気治療器、現在では全身麻酔下で筋弛緩薬を併用してけいれんをひき起こさずに電気治療が行われているが、以前は無麻酔で行われており患者にとって恐怖の治療であった。電極をこめかみに当て通電させた。妄想がみられる統合失調症に効果があり、向精神薬が使用されるようになる前にはよく用いられていた。

保護衣(抑制衣)、中の人は解説員の方。

患者の中には自分が将軍だと思い込んでいる者もいた。いわゆる誇大妄想狂である。この患者の名は葦原金次郎(あしわらきんじろう)といい、病院敷地内には作業療法の一環で作られた池があり「将軍池」と名付けられた。また、森繁久弥が葦原将軍に扮し将軍の一生を描いた劇を上演した時には、木馬にまたがった将軍の指揮で全病者が徒歩で松沢まで移動するという設定で、途中九段の靖国神社で休憩する場面もあったという。この舞台の資料も展示されている。将軍はほかの患者を従えていたので、病院では将軍をある意味利用する場面もあったという。

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊