医史跡、医資料館探訪記10で荻野吟子記念館を訪ねましたが、北海道を訪れる機会に恵まれました。滞在先が札幌だったので、荻野吟子ゆかりの今金町やせなた町まで片道260kmをドライブすることに躊躇はありましたが、ちょっと足を伸ばすことにしました。
札幌から入植地インマヌエルの丘の位置関係
荻野吟子の夫、志方之善が入植したインマヌエルの丘は現在の瀬棚郡今金町神丘にあります。函館に上陸した一行は陸路、ニシン漁で栄えた瀬棚(現・久遠郡せたな町)を目指します。入植地インマヌエルの丘は、瀬棚から15kmほど内陸にあります。入植当時は一面の原生林だったと思われます。吟子に先立ち1891年(明治24年)に志方之善が入植しました。
インマヌエルの丘の碑と今金インマヌエル教会
この教会の裏手に志方之善と荻野吟子夫妻の家があったそうです。現在の今金町の中心部から離れ人家もまばらな畑の中に教会はありました。
志方之善はその後開墾を断念し、国縫(くんぬい)でマンガン鉱採掘を手がけますが事業に失敗します。吟子は1897年(明治30年)に瀬棚の会津町(現・久遠郡せたな町本町)で開業します。
インマヌエルの丘と瀬棚の会津町の位置関係
現・久遠郡せたな町本町に車で移動しました。せたなには荻野吟子公園があります。以前は瀬棚から内浦(噴火)湾側の国縫まで鉄道が通っていたようで、公園には駅の名残もありました。
せたなの町も商店はほとんどなく少し寂しい感じがしました。港からは奥尻島へのフェリーが行き来しています。
瀬棚の町では東京から来た文化人として町内の文化と女性地位向上に活動します。やがて、札幌に診療所を移転するか迷いますが、吟子の医療技術がすでに陳腐なものになっていることを知り移転を断念します。この点に関しては共感できます。卒後30年がたち単に虫歯の治療だけでなく、摂食嚥下など新しい分野については知識も経験も不足気味だと実感するので吟子の気持ちはよく分かります。
荻野吟子資料展示室があるのですが、休館日でした。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊