現在の聖路加病院(東京築地)近くに旧中津藩中屋敷はありました。1858年(安政5年)に中津藩奥平家の中屋敷で福沢諭吉が蘭学塾を開いたのが慶応義塾の始まりでした。また、中津藩中屋敷にあった藩医 前野良沢の家に集まり杉田玄白、中川淳庵がターヘル・アナトミアを翻訳したのもこの地でした。
解体新書の発刊に際して、前野良沢は翻訳に誤りがある可能性もあり発刊に反対し、解体新書に自身の名前を載せることを辞退した。前野良沢の完璧主義的な対応は杉田玄白とは対称的であった。解体新書の発刊により杉田玄白は名声を一身に集めたのであった。
記念碑が交差点脇にひっそりとありました。
杉田玄白らはターヘル・アナトミアの翻訳に先立ち、小塚原刑場で腑分けに立ち会います。ターヘル・アナトミアの図譜の精緻なことに驚き翻訳を決意します。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊