野口英世は、千円札にもその肖像が載っていることから知らぬ人は少ないかと思います。
野口は東京の済生学舎で学び、医術開業試験に合格した後、高山歯科医学院で講師を務めながら順天堂医院で助手になります。その後北里柴三郎の伝染病研究所を経て横浜検疫所で働き始めます。この横浜検疫所の細菌検査室の建物が横浜市金沢区に現存しているのでした。
横浜検疫所の門の脇には、野口が世界で初めて純粋培養に成功したとされる梅毒スピロヘータを模したモニュメントがあります。
現横浜検疫所の隣接地に長浜野口記念公園があり、公園内に旧細菌検査室があります。
入り口付近に野口の胸像。旧検査室内は無人で、自動音声案内でした。展示品の撮影は可でした。
野口は数々の業績を上げた一方、放蕩のかぎりを尽くし散在します。伝染病研究所で図書の洋書を売り飛ばして換金したことが発覚して研究所にいられなくなり、北里の紹介で横浜検疫所に就職したのでした。在職期間は5か月ばかりでしたが、ペスト患者を発見し流行を未然に防いだことが大きな実績になりました。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊