NEWS

医史跡、医資料館探訪記23 日本初の解剖をした山脇東洋ゆかりの地を訪ねて

今回、京都を訪れました。山脇東洋は人に似た臓器をもつとされたカワウソの解剖を通じ、中国古来の内景図 (内臓図)に疑いをもち日本で初めて腑分け(観臓)に立ち会った医師です。その観臓の様子は著書である「蔵志」に描かれているが、解体新書のような写実的なものではなく、誤りもあった。しかし、従前の医学に疑問をもち、観臓が行われた意義は大きい。

観臓が行われた六角獄舎跡は地下鉄東西線二条城前駅から南西方向に位置し徒歩10分弱である。

1754年(宝暦4年)東洋49歳のときに偶然にも38歳の男が処刑されるという情報を得たので、東洋は弟子である小杉玄適と伊藤友信らの名で京都所司代酒井忠用に解剖の許可願いを提出し、許しを得る。27日に罪人は西土手で斬首され、首のない屍体は六角獄舎に戻され、観臓が行われた。この六角獄舎跡に記念碑がある。

再び二条城前駅まで戻り地下鉄東西線で京都市役所前駅に向かう。京都市役所前駅から南に6分ほど歩くと誓願寺がある。この寺は浄土真宗深草派の本山で山脇東洋夫妻の墓と山脇社中解剖供養碑がある。東洋は観臓した翌月、ここ誓願寺で供養を行なっている。寺の宗務所で見学の届けをし許可書を頂いて寺墓地へ向かう。

 

墓地の入り口は寺の宗務所から北に100m弱行ったところにあり、山脇東洋解剖碑所在墓地と描いた石碑があった。墓守に許可書を手渡し東洋夫妻の墓と慰霊碑を案内してもらった。伏見区深草にある総本山真宗院に山脇家の墓があるが、誓願寺には分骨されている。東洋夫妻の墓には屋根がつけられ、傍らに駒札が立てられている。墓地は平成6 年に再建・改修がなされたものであり、駒札には次のように書かれているが、すでに字は読みにくくなっている。

「山脇東洋のヒューマニズム
山脇東洋(1705~1762) は18世紀の京都が生んだ名医の一人です。1754年(宝暦4 年) に日本ではじめて医学の目的で人体の内臓をしらべ「蔵志」を刊行して実証的な科学精神の灯を医学界に点じました。山脇一門はその後も熱心に人体内臓の研究を重ねすぐれた業績をあげ、また解剖供養碑をたてて慰霊しています。この供養碑には男女14柱の戒名が刻まれ、東洋の精神を受けついでいます。東洋夫妻の墓碑および解剖供養碑が永年の風雨に曝され傷みがひどくなってまいりましたので今回再建・修理しました。
平成6 年9 月18日山脇東洋顕彰会」

 

慰霊碑は墓の左手にあり、山脇社中解剖供養碑とある。解剖された14名は何れも罪人であり、山脇東洋、東門、東海等によって観臓の対象となった者である。このうち、「利剣夢覚信士」は山脇東洋が初めて観臓した罪人「屈嘉(くつよし)」であり、西土手刑場で斬首された者の戒名である。「夢覚」とは長い間の医学上の混迷の夢を呼び覚ましてくれたことに対してつけられたという。

誓願寺を後にし、三条駅まで歩き、京阪本線で龍谷大前深草まで行く。疎水を越え緩やかな坂道を15分登ると総本山真宗院がある。裏手に広がる墓所を訪ねると養寿院法眼東洋先生之墓がある。

 

養壽院法眼東洋先生之墓とあり、かなり立派な墓である。後日、世界初の全身麻酔を施した華岡青洲の墓にくらべて大きいのが印象的であった。

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊