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医史跡、医資料館探訪記32 内藤記念くすり博物館を訪ねてー常設展

岐阜県各務原市にある内藤記念くすり博物館では、2020年5月12日から2021年3月31日まで2020年度企画展「麻酔薬のあゆみと華岡青洲」が開催されているときき、夏休みを利用して訪れてみた。名古屋駅から東海道本線快速で岐阜駅へ、岐阜駅で下車して名鉄岐阜駅から各務原線に乗り換え各務原市役所前駅で下車し、新那加駅北口行きバスに乗り揺られること30分、内藤記念くすり博物館でバスを降りた。

内藤記念くすり博物館はエーザイ株式会社の企業ミュージアムである。敷地に入ると左手に無料の駐車場があり、少し進むと右手に温室、左手に薬草園が広がっている。入口から100mほど進んだ右手に博物館がある。

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医史跡、医資料館探訪記32 内藤記念くすり博物館を訪ねてー常設展

まず常設展をみることにした。入口正面には、6本の角、9つの目を持ち、人の言葉を理解し、病魔を防ぐと信じられていた白沢(しろたく)という古代中国の想像上の神獣の置物が展示してあった。

医史跡、医資料館探訪記32 内藤記念くすり博物館を訪ねてー常設展

左手に曲がると右手には様々な標本と薬効が展示してあった。身近にある動植物、例えばヒガンバナの場合は浮腫に、セミの抜け殻はかゆみ止めに、タツノオトシゴは難産に、大黄のは健胃剤などと書いてあった。これは煎じて飲むのであろうか?

左手には「薬狩りの図」(7世紀)があり、わが国初の薬草採取は611年に推古天皇が大和の菟田野(うだの)に出かけた薬狩りである(日本書紀)という。

1階には、5つのテーマで展示がある。

「健康への願い」のブースでは、神獣 白沢の図を持っていると道中の災難や病気を免れるいう言い伝えから白沢の絵が描かれた「旅行用心集」や同じく白沢の絵を枕元に置いておくと様々な邪気を避けるという「白沢之図」があった(江戸時代)。また、薬の神である少彦名命像(すくなひこなのみこと)や薬師如来像なども展示してあった。民間信仰として様々な神仏が奉られていたことがわかる。

疫病に対しては近現代になるまで有効な方法がなく、もっぱら神頼みであったといっても過言ではない。左の写真のしめ縄は、スサノオノミコトが一夜の宿を借りようと裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)を訪ねたが断られ、その兄の貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)には快く迎えられたことから、蘇民将来の子孫には茅の輪を腰につけていれば厄病を免れるという説話から疫病退散のお守りとして作られたものである。

右の写真は、全国各地の病除けのおもちゃである。子どもの健やかな成長を願って作られたものである。また、病気でむずがる子どもたちにおもちゃを与えるのが親のせめてもの慰めだったと考えられている。

「医療のあけぼの」のブースでは、中国からの東洋医学の伝来や生薬について展示してあった。東洋医学の伝来は、当初は朝鮮半島経由で、その後は遣隋使、遣唐使によってもたらされたと考えられている。正倉院には、光明皇太后が聖務天皇の77日の忌日に、天皇ご愛用の御物とともに薬品60種を漆櫃(うるしびつ)に入れ東大寺に奉納したものが残されている。正倉院の薬物の一例として、甘草かんぞう(鎮痛・鎮咳)、大黄だいおう(緩下剤・健胃剤)、桂心けいしん(健胃・整腸)、紫鑛しこう(切り傷などの外用薬)、龍骨りゅうこつ(精神安定作用)、犀角器さいかくき(解毒作用・毒の有無を識別)、禹余糧うよりょう(褐鉄鉱の球顆)が展示されていた。

東洋医学といえば鍼灸も含まれるが、明堂鍼灸之図(1474年(成化10年))の原本という掛け軸型の経絡図で現存するもので最も古いものの一つが展示してあった。

葛根湯は現在でも使用され、有名な漢方薬である。葛(くず)の根を主成分にしたもので、初期の風邪、鼻水、頭痛、肩こり、筋肉痛に効く。主成分は、葛根かっこん、麻黄まおう、大棗たいそう、桂皮けいひ、芍薬しゃくやく、甘草かんぞう、生姜しょうがである。

湯を沸かす「やかん」は漢字で薬缶と書く、元々薬を煎じたので薬缶と呼ばれるようになったという。煎じ薬の成分が変化しないようにするため薬缶の内側には錫が塗られていた。江戸時代の薬缶が展示されていた。

生薬についても説明、展示があった。生薬は動物、植物、鉱物から採取したものを加工して、薬用として用いるもので、現在でも医薬品として用いられているものもある。このうち漢方薬は漢方医学の理論に基づいて処方されるものをいい、民間薬は民間伝承によって用いられるものをいう。生薬として、水犀角(すいさいかく:アフリカサイの角)は鎮痛、解熱、解毒、白花蛇(びゃっかだ:ヘビの腹部の乾燥物)は鎮静、鎮痛薬、烏蛇(うだ:ヘビの乾燥物)は鎮痛、鎮静薬、羚羊角(れいようかく:レイヨウの角)は鎮静、解熱、熊胆(ゆうたん:熊の胆嚢)は腹痛、気付に、虎脛骨(こけいこつ:虎の脛骨)は鎮痛、鎮痙薬、冬虫夏草(フユクサナツクサタケの子実体と昆虫の幼虫)は強壮、鎮静、孫太郎虫(まごたろうむし:ヘビトンボの幼虫)は疳の虫の薬、蝉退(ぜんたい:セミの抜け殻)は尋麻疹の痒み止め、海馬(かいば:タツノオトシゴ)は強壮、安産の御守り、馬糞石(ばふんせき:馬の腸内結石)は解毒薬、紫河車(しこうしゃ:胎盤の乾燥物)は不老長寿、滋養強壮、海狗腎(かいくじん:オットセイの陰茎)強壮、強精剤、一角(いっかく:イッカクの角)は解熱、解毒剤、穿山甲(せんざんこう:センザンコウの鱗甲)は催乳剤(母乳の分泌を促進させる薬剤)、亀板(きばん:カメの腹甲)は咳や足腰の痛みに効くという。蛤蚧(ごうかい:オオヤモリ)は強壮、強精剤、露蜂房(ろほうぼう:蜂の巣)は消化作用、解毒、猿頭霜(えんとうそう:サルの頭の黒焼き)は頭痛薬。白檀(びゃくだん:ビャクダンの心材)は香料、かつては淋病薬。沈香(じんこう:ジンチョウゲ科の天然香料)は鎮静、解毒、麝香(じゃこう:雄の麝香鹿の分泌物)は強心剤、香水、伽羅(きゃら:香水)は沈香の最上品である。

マラリアの治療薬としては、クソニンジン(青蒿:せいこう)とヨモギ(艾草:がいそう)が有名で、この発見で2015年にノーベル賞が与えられた。

「くすりを作る」のブースでは、薬草を裁断したり、すり潰したりする様々な道具が展示してあった。

薬草を切るのに使われた片手切り、両手切り(江戸時代)。

薬草をすり潰す薬研(やけん)と石臼(江戸時代)。

ふるいと乳棒(鹿の角)(江戸時代)。

昭和時代の製丸器。

「くすりを商う」のブースには、明治時代の薬屋の店先が再現してあったり、薬の看板が展示してあった。

江戸時代、1811年(文化8年)に発売された我が国最初の洋風名の売薬。この言葉、実はオランダ語でも他の西洋語でもない。「ウ」と「ル」と「ユ」を組み合わせると「空」の字になり、「空」に「ス」をあわせ、空(から)にするという効能から命名された下剤でした。看板には蘭方、長崎と書いてあるが、大阪の松尾健寿堂の薬であった。看板には注目すべき点がいくつかある。まずはアルファベット文字で、「VLOYM (痰) VAN MITTR(薬)」とあり、オランダ語で「痰の薬」という意味になるはずだが、この単語の綴りと文法には誤りがある。「VLOYM」の綴りは「VLUYM」の誤り、文法は「MITTR VAN VLUYM」とするのが正確であろうといわれている。当時はこうした誤りに気付く人もいなければ、薬の信用を失墜させることもなかった1)。

また、富山の薬売りの様子などの展示もあった。

「蘭方医学の伝来」のブースでは、蒸留したアルコールや植物油を保存したおらんだ徳利(ガラス瓶)や蒸留するのに用いたらんびき(蒸留器)などが展示されていた。また、シーボルトの薬箱に収められていた外科手術道具の展示もあった。

おらんだ徳利とらんびき

シーボルトの外科手術道具とシーボルト瀉血の図

シーボルトのものと言い伝えられる薬箱

2階にはヒポクラテスを描いた日本画(江戸時代)や杉田玄白の肖像画(複製)、華岡青洲の肖像(複製)、解体新書、蔵志などが展示してあった。

全体を通じて医学と薬学の結びつきがよくわかる展示であった。

 

参考文献

1)野尻佳与子:カタカナで名付けられた最初の売薬「ウルユス」について,日本医史学雑誌第 61 巻第 1 号,P90,2015

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊