2020年(令和2年)11月、特志解剖一号の美幾女の墓を訪ねた。特志とは特別に志願したという意味である。蘭方医学の広まりの中で腑分けといえば罪人であったが、1868年(明治元年)に初めての解剖志願者が現れた。解剖を申し出たのは洋学者の宇都宮鉱之進(三郎)であった。維新の戦乱中体調を崩し、死期を悟った宇都宮は解剖を申し出たが、その後体調が回復し解剖の願いは叶わなかった。
美幾は遊廓での勤めを続けるうちに梅毒に罹患し、その治療のため医学校(東京大学医学部の前身)の附属病院として設置されていた黴毒院(ばいどくいん)に入院していた。末期の梅毒で死期が迫る中、治療をしていた医師から献体を求められ、その求めに応じたのであった。遊女は通常死亡すると投込寺(なげこみでら)の穴に遺棄されるのが習いであったが、解剖を志願すれば丁重に弔い墓を建てるというのが医学校の提示した条件であった。
医学校は神田和泉町(現 秋葉原東口付近)の旧津藩藤堂和泉守上屋敷にあり、仮設の解剖所を作り行われたという。
その解剖の経緯は、吉村昭の小説「梅の刺青」に詳細に書かれている。渡辺淳一の小説「白き旅立ち」も美幾を主人公にしているが吉村昭に比べよりフィクション性が強く、美幾と宇都宮の関係性が面白く描かれている。
美幾の墓は、文京区白山の念速寺にある。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊