JR鎌倉駅西口を出てスーパーマーケット紀伊国屋の交差点を左折し、御成小学校を右手にみながら道を真っすぐ進むと15分ほどで鎌倉海浜公園由比ガ浜地区に出る。この海浜公園のあたりに明治から戦前にかけて長与千斎が開設した鎌倉海濱院(海濱サナトリウム)、のちの鎌倉海濱ホテルがあった。公園内に江ノ電の車両が保存されており、その近くに鎌倉海濱院の記念碑がある。
長与千斎は、1854年(安政元年)、大坂の適塾に入門し、1861年(文久元年)、長崎に赴き、医学伝習所でオランダ人医師ポンペのもとで西洋医学を修める。1871年(明治4年)、岩倉使節団の一員として欧米に渡り、ドイツやオランダの医学および衛生行政を視察した。1874年(明治7年)、東京医学校(現在の東京大学医学部)の校長となる。1875年(明治8年)、内務省衛生局初代局長に就任する。
鎌倉海濱院(鎌倉海濱ホテル)のポストカード
鎌倉海濱院・鎌倉海濱ホテル跡の記念碑
鎌倉海濱院は経営に行き詰まり、鎌倉海濱ホテルとなる。夏目漱石の小説『こころ』に登場する由比ガ浜のホテルが「鎌倉海濱ホテル」だという。
海浜公園を国道134号線に出ると海浜公園前という交差点がある。この交差点を渡ったところに、由比ガ浜海水浴場として開場してから100周年を記念した碑がある。由比ガ浜は、松本順(良順)により大磯海水浴場が海開きする1年前の1884年(明治17年)に海水浴場となった。
海水浴場100周年の記念碑と由比ガ浜海水浴場。
由比ガ浜海水浴場をあとにし、国道を西に進み長谷にある高徳院(大仏)を目指す。高徳院には長与千斎の働きを顕彰して碑があるという。20分くらい歩き高徳院に着いた。コロナ禍で蔓延防止等重点措置が出ているためか高徳院は空いていた。
大仏の傍、左手に顕彰碑はあった。碑文は漢文で書かれていた。サナトリウムの開設や海水浴場の開場の働きによるものである。
高徳院をあとにし、極楽寺に向かうことにした。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊