極楽寺をあとにし、鎌倉海浜公園稲村ケ崎地区に向かう。
ロベルト・コッホが来日した際、北里柴三郎とともに鎌倉を訪れ、宿泊先から霊仙山山頂に登り江の島と富士山を眺めたという。それを記念して霊仙山山頂にコッホの記念碑が建立されたが、その後山頂への道も閉ざされ記念碑周囲も荒れたため、鎌倉市医師会が資金を出し記念碑を現在の鎌倉海浜公園稲村ケ崎地区に移設した。
公園から見た江の島と富士山
霊仙山は公園と国道を挟んで反対側に位置し、極楽寺と国道のあいだにある。記念碑は公園の最上部に設置してあった。
記念碑には、「明治42年(明治41年の誤り)7月ドイツ大医コッホ先生が北里博士と一緒に鎌倉に遊びに富士山を望みて大変喜ばれた。霊仙山頂でコッホ先生は日の出と日暮れの素晴らしさを見て堪能された。帰国後数年も経たないうちに亡くなられたので、山の所有者である村田氏らと相談し、石碑を建てて事績を遺そうと考えた。山の下の稲村ケ崎は新田義貞中将が武運を祈って刀を沈めたといういわれのある地である。海と富士山のおりなす絶景のこの地を今は海外の偉人がここに留まって風景を賞した所として世に伝えるべきと考える。」とある。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊