杉田玄白といえば、前野良沢、中川淳庵らとともに蘭書ターヘル・アナトミアを翻訳し、解体新書を世に出した人物である。玄白は江戸牛込の小浜藩酒井家下屋敷で生まれた。生誕の地、旧小浜藩下屋敷跡は、現在矢来公園という公園になっており、杉田玄白生誕の地の碑が建っている。矢来公園は、東京メトロ東西線神楽坂駅から徒歩8分ほどである。
藩医である父の甫仙とともに小浜に移り住むが甫仙が江戸詰めになったことから、再び江戸に戻ってくる。しかし元々小浜藩にゆかりがあったかといえば、そうではない。
玄白の祖先は宇多源氏に端を発し、近江源氏を形成した佐々木氏の支族に真野氏というのがあった。真野新左衛門信安(玄白の6代前)は武蔵国久良岐郡杉田邑(むら)に住んで北条氏に仕え、その部下間宮のもとで軍功をたてた。姓を間宮と改め間宮新左衛門信安と名乗った。信安の子に間宮主水次郎長安(玄白の5代前)という人がいた。杉田村に1524年〈大永4年)生まれ、一時上野の国にいたが、1594年(文禄3年)再び杉田村に帰り、姓を杉田と改めた。医家としては、玄白で3代目である。杉田家は間宮林蔵と90%の確率で親戚であるという説もある。
杉田玄白の墓は、東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩6分ほどの浄土宗猿寺榮閑院にある。門の脇には杉田玄白墓の石碑が建つ。
門をくぐりお堂を右手に進むと玄白の墓がある。
参考文献
大滝紀雄:かながわの医療史探訪,秋山書房、1983.
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊