杉田玄白の父 杉田甫仙は小浜藩医であり玄白が生まれたのは牛込矢来の小浜藩邸酒井家下屋敷であることは、「医史跡、医資料館探訪記47」で触れた。1740年 (元文5年)には一家で小浜へ移り、父が江戸詰めを命じられる1745年 (延享2年)まで過ごした。玄白が8~13歳の時期にあたる。この間に長兄と義母が他界し、空印寺に葬られている。
小浜市内には、杉田玄白を顕彰する碑や銅像、まちの駅に杉田玄白ラボが設けられるなどしている。さらに2024年(令和6年)の北陸新幹線敦賀開業控え、まちづくりのランドマークとして(仮称)杉田玄白ミュージアムを建設する計画をすすめられている。
また、公立小浜病院は1883年(明治16年)に県立小浜病院として発足した県内で2番目に古い自治体病院だが、2007年(平成19年)には「救命救急センター」が設置されたのを機に、日本の近代医学の先駆者 杉田玄白先生の名前を病院名に冠して「杉田玄白記念公立小浜病院」と改称した。病院内には杉田玄白コーナーがある。
今回、小浜駅前の若狭おばま観光案内所でレンタサイクルを借りて市内を観光することにした。まずは駅から徒歩3分ほどの小浜市中央公園に行った。公園には杉田玄白顕彰碑があった。公園の通りを挟んだ反対側が杉田玄白記念公立小浜病院である。
病院前には、杉田玄白の銅像があった。
病院の新館1階に杉田玄白コーナーがあった。
まちの駅の杉田玄白ラボに貸し出されて展示品が複数あり、また解体新書もレプリカであるなど少し残念な展示となっていた。
玄白の胸像。玄白ゆかりの地として空印寺、永福庵跡、羽賀寺、大沢寺が紹介されている。
空印寺には義母と早世した長兄が葬られており、永福庵跡には父 甫仙の名が刻まれた碑がある。羽賀寺には檜の一木造りの弁財天があり(現在は所在不明)、甫仙が奉納したものと伝えられている。大沢寺は玄白が病弱だったことから、不動明王の滝水を飲ませて養生させたといわれている。
華岡青洲と杉田玄白が交流していたこと知らなかったので、書簡が残っていることに驚いた。
顕微鏡などまちの駅に貸し出しになっていたのでそちらに移動することにした。杉田玄白記念公立小浜病院からまちの駅へは、徒歩6分程度である。残念ながらまちの駅は定休日(火曜日)で見学できなかった。
時間があるのでフィッシャーマンズワーフに行き、蘇洞門(そとも)めぐりの遊覧船に乗船した。海も穏やかだったので大門小門桟橋に接岸することができた(年間を通じて1割ほどしか接舷できないとのこと)。
左から小門、大門。門を通して向こう側の海が見える。右の写真は吹雪の滝。滝は入り江に流れ込んでいる。
左がマーメイドテラス。小浜には人魚伝説がある。小浜には古い街並みも保存されている。
小浜は神社、仏閣が多く、「海のある奈良」といわれている。写真は空印寺、玄白の長兄と義母が葬られているが、人魚の肉を食し不老不死になった八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)が入定した洞窟の方が有名である。
5時間ほどの滞在であったが、町が小さいのでそれなりに見ることができた。杉田玄白ミュージアムができたころに、また訪れたいと思う。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊