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医史跡、医資料館探訪記59 日本初の頭部解剖を行った河口信任ゆかりの地を訪ねて

東北自動車道久喜インターで高速を降り、一般道を30分くらい走ると古河歴史博物館にたどり着く。博物館は、旧古河域出城跡(諏訪曲輪跡)に建てられている。2021年(令和3年)10月30日から11月28日まで企画展「近代医学のさきがけ 河口家の人びと」が開催されているので訪れてみた。

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古河藩医河口信任は、カスパル流外科を修めた蘭方医で、日本で初めて頭部の解剖を行った人物である。解剖体は一般に斬首された刑死体を用いるので、胸部、腹部が主体となる。また、腑分けは刑場の下僕が医師の指示に従って行われたのが一般的だったが、信任は自らの手で執刀したのであった。館内は撮影禁止だったので、図録集「古河藩医 河口家医学資料の世界」を購入した。

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図録集の表紙が主だった図を示している。

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解剖に用いた解剖刀。

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大脳も小腸も管状のものが描かれており写実的とはいえない点は山脇東洋の「蔵志」と同様であるが、解体新書が発刊される2年前1772年(明和9年)にこの「解屍編」が世に出された意義は大きいものといえる。

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歴史博物館を後にし、河口信任屋敷跡と訪ねた。博物館から800mほどで、渡良瀬川にかかる三国橋が近くにある。

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信任の墓は、同市の本成寺にある。墓所の入り口から70~80m進み、右の曲がり20~30m進むと案内板がある。向かって左の墓が信任の妻の墓、向かって右が信任の墓。墓所内には目立った案内板はないので注意していないとみつけられない。

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊