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医史跡、医資料館探訪記60 旧公衆衛生院を訪ねて

東京都港区、東京メトロ南北線白金台駅2番出口より徒歩1分のところに旧公衆衛生院(現 港区立郷土歴史館)がある。

公衆衛生院はアメリカ ロックフェラー財団から日本政府への寄付によって1938年(昭和13年)に設立された。寄付金の総額は当時のお金で総額350万ドル余りだったという。2002年(平成14年)に国立感染症研究所の一部などと合併し国立保健医療科学院となり現在は埼玉県和光市に移転しているが、公衆衛生院は国民の保健衛生に関する調査研究と公衆衛生の普及に中心的役割を果たしてきた。

旧公衆衛生院の建物は、東京大学の安田講堂などを手掛けた内田祥三(うちだよしかず)が設計した。内田の設計した建物は「内田ゴシック」と呼ばれ、華麗な雰囲気を醸し出している。

旧公衆衛生院の正面

港区立郷土歴史館は建物の見学のみであれは入館無料である。正面玄関は2階にあり、玄関を抜けると中央ホールがある。床は天然石、壁は人研ぎ石(人造大理石)、手すり内には金属製のレリーフを配しており、上質な材と手の込んだ装飾類を随所に見ることができる。

中央ホール

3階に上がると旧院長室と旧次長室があった。院長室は建物の中で一番手の込んだしつらえになっており、当時高級であったベニア材が壁と天井に使われており、床の仕上げも手の込んだ寄木となっている。

旧院長室。家具は古写真を基に復原したもの

次長室は院長室の半分くらいの広さである。

旧次長室

この建物が内田祥三の設計であることはすでに述べたが、施工は大倉土木(現 大成建設)によるもので学校建築に分類される。各階ホールと廊下に注目すると、メインエントランスや院長室のある2・3階、授業や実験を行う4・5階、研修を受けに来た人のための寮がある6階と3種類のデザインに分類される。

4階には旧講堂がある。講堂は340席を有する階段状の教室で、各種式や講演会がここで行われた。椅子のクッション、背もたれ、天井板以外は建設当初の部材がそのまま使われている。演壇脇のレリーフは新海竹蔵によるものである。

旧講堂
旧講堂
講堂レリーフの図説

3階には小さな図書室があり、1階にはカフェ(旧食堂)がある。

カフェVEGETABLE LIFE(旧食堂)
カフェVEGETABLE LIFE(旧食堂) の窓辺

1階のホールの床は地下1階の採光のためプリズムガラスが敷かれている。これは建設当時の電気では明るさが足りなかったためである。

1階ホールに敷き詰め垂れたプリズムガラス

最後に旧公衆衛生院の建物が、港区立郷土歴史館として保存されたことに深く感銘した。

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊