都営三田線水道橋駅A6出口から徒歩5分ほどで東洋学園大学に到着する。東洋学園大学の前身は、1917年(大正6年)開校の明華女子歯科医学講習所であり、その後1926年(大正15年)11月4日に女子では日本初の歯科医師法(旧法)第1条第1号に基づく文部大臣指定校、旧制・東洋女子歯科医学専門学校になった。
1階の事務室で史料室見学の旨を伝え、入構証を受け取り9階の史料室へ向かった。
東洋学園大学史料室はその歴史を解説したパネルなどが展示され、きれいに整理された印象だった。史料室のホームページに室内の様子がわかる写真等があるのでそちらを参照していただきたい。
入室の際にリーフレットを頂いたがそちらも無断転載禁止だった。その他、今までの刊行物のなかで在庫のあるものについては無料で頂けたのはありがたかった。
明華女子歯科医学講習所が開校した大正時代は第一次世界大戦や大正自由主義などの影響により女性の社会進出とその前提となる女子教育が盛んになっていった時代である。解剖学者の香山明(かやま あきら)(1883~1969)が東京市本郷区田町29番地(現・文京区西片1-15付近)に修業年限6か月の 明華女子歯科医学講習所を開設したのが1917年(大正6年)9月のことであった。 明華女子歯科医学講習所は日本歯科医学校(現・日本歯科大学)より1909年(明治42年)に分離した東京女子歯科医学校(現・神奈川歯科大学)からさらに分離したものである。
明華女子歯科医学講習所も開設の翌年には1年制の各種学校へ認可され、さらに翌年には3年制が認可されている。1921年(大正10年)12月には専門学校令による財団法人 明華女子歯科医学専門学校設立が認可され1924年(大正13年)には4年制に移行するのであった。
旧制専門学校、高等師範学校は当時の女性の最高学府であり、旧制大学は男子校であった。1925年(大正14年)当時女子高等教育進学率は0.3%であり、良妻賢母を旨とする家政・国文系が主であり女子医専や女子歯科医専少ない時代であった。
1875年(明治8年)に明治新政府は西洋医学による医療・衛生制度を確立するため臨床医の普及を図るため学歴を問わない医術開業試験を設けた。私立医学校・歯科医学校は開業試験の受験予備校として生成、発展し、1894年(明治27年)に高橋孝(たかはし こう)が医術開業歯科試験に合格し初の公許女性歯科医となっている。
明治後期になると学歴に基づく一定水準の医師・歯科医師を養成するため、1903年(明治36年)専門学校令、1906年(明治39年)旧医師法・歯科医師法によって私学の高等教育に取り込み、基準に満たない学校を淘汰した。
戦前の女子歯科教育を知る貴重な展示であった。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊