長崎(小島:こしま)養生所は、長崎海軍伝習所教官であったオランダ軍医ポンぺの病院設立の願いにより、1861年(文久元年)9月20日に開設された我が国最初の近代西洋式病院です。養成所は近代西洋式の病院であり、日本初の西洋式病院は1557年に豊後府内(現 大分県)にルイス・デ・アルメイダによって建てられた外科、内科、ハンセン病科の総合病院が初めてといわれている。
司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」で長崎の小高い丘の上に養生所は建てられたと書かれていたが、実際に新地中華街から唐人屋敷跡を抜けて階段を上った先で、反対側に下りると丸山寄合町遊郭跡に出る。
資料館では、仁田佐古小学校新校舎建設工事に先立つ埋蔵文化財発掘調査により検出された養生所遺構の一部を露出展示、ヨーロッパ製薬瓶など病院関連出土遺物等を展示するとともに、映像やVRを用いて、養生所及び関連施設である医学所、分析究理所の歴史的価値や、「日本近代西洋医学教育の父」と称されるポンぺの功績などを紹介している。開館は2020年(令和2年)4月6日(月)である。
1857年(安政4年)11月、長崎奉行所西役所内に医学伝習所を設立、ポンペが幕府医官の松本良順ら11名に医学講義を行った(長崎大学医学部はこの日付11月12日を「開学記念日」とし、ポンペを「開学の祖」としている)。 東京大学医学部の前身のお玉ヶ池種痘所が1858年(安政5年)に開設であるから、日本における最初の西洋医学校であるともいえる。
養生所は風通しがよく日当たりのよい病院というのがポンペの求めで、病室は畳に布団ではなく板の間にベッドであった。
資料館は、あまり知られていないのか見学者は私のみで閑散としていた。貴重な遺構を含む資料館なので、末永く続くことを願いたい。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊