2023年(令和5年)12月、表参道にある日本看護協会の3階にあるJNAプラザを訪ねた。
事前に図書館特別資料室展「看護の教科書の歴史」の見学を予約していたので、1階の受付でその旨を伝えると入館許可のシールが渡された。シールを上着の胸に貼り3階にいくと、エレベータホールの正面にJNAプラザの受付があった。
受付に向かって左手には日本の看護の歴史に関するパネル展示が、右手に企画展の展示物があった。
看護婦教育所創設之地については本ブログ46に掲載したが、いわゆるトレインド・ナース(訓練された看護婦)の先駆けとして有志共立東京病院看護婦教育所(現 慈恵看護専門学校)が、日本初の看護婦教育機関として1884年(明治17年)設立されたのを始まりである。戊辰戦争や西南の役の時にも患者の世話をする看病婦という女性たちがいたが、お金のために汚い仕事も厭わず、時には命まで差し出す卑しい職業として蔑まれていた。トレインド・ナースが衛生の概念をもちナイチンゲールの「看護覚え書 Notes on Nursing」を教科書に学んだ者たちもいる。
1886年(明治19年)に京都看護婦学校がリンダ・リチャーズを、桜井看護学校(現 女子学院)がアグネス・ヴェッチをそれぞれアメリカから招きトレインド・ナースの養成を始めた。1887年(明治20年)に帝国大学医科大学附属第一医院(現 東京大学医学部附属病院)の看護婦養成科が桜井看護学校のアグネス・ヴェッチを兼任講師に招きと授業を開始した。桜井看護学校は、このことで第一医院で病院実習できるようになった。当時は外国人講師による英語での授業で、英語の教科書を和訳して勉強していた。
終戦後は、連合総司令部(GHQ)の指導のもと医学も看護学も米国式に改められていく。
いつもは清瀬にある日本看護協会図書館特別資料室(初代協会長井上基金設置特別資料室)のある貴重な資料が展示され、手に取って拝見できたことは大変よかったと思う。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊