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医史跡、医資料館探訪記71 近代医科学記念館を訪ねて

近代医科学記念館は、東京メトロ南北線白金台駅下車徒歩1分の東京大学医科学研究所(旧 国立伝染病研究所)の敷地内ある。

近代医科学記念館の全景、血清作製のための家畜厩舎を模した建物

北里柴三郎がドイツ留学中に帝国大学医科大学(現 東京大学医学部)の緒方正規(衛生学初代教授)の脚気細菌説を批判したことから、日本での活動に大きな制約がかかることになった。その窮地を救ったのが福沢諭吉である。福沢諭吉は、1892年、私立伝染病研究所を東京芝に設立し、北里柴三郎を所長に据えた。その後、愛宕町に移転し内務省所管の「国立伝染病研究所」になる。愛宕町の研究所が手狭になったことから現在の医科学研究所のある白金台へ移転するが、北里に無断で内務省の所管から文部省所管へ変わり東京帝国大学の下部組織(現 東大医科学研究所)になることになったことから、北里から伝染病研究所を辞し北里研究所(白金)を設立するのであった。この一連の出来事については、篠田達明著「闘う医魂 小説・北里柴三郎」に詳述されている

伝染病研究所所長北里博士
長与千斎の三男長与又朗が伝染病研究所第四代所長となり、確執があった北里博士とのあいだを取りなしたという
伝染病研究所に一時所属していた野口英世からの自筆の手紙
北里に無断で内務省から文部省に所管が変わったため職員が北里ともに総辞職した記念写真
写真中央の弓状の建物が医科学研究所本館、右手の逆Cの字型の建物が旧 公衆衛生院
治療用の抗毒素血清製造のため多くの馬が飼育されていた。馬への注射・採決のために金属性支柱の枠内に誘導して固定していた
抗毒素血清や抽出抗原
伝染病研究所時代の厩舎、近代医科学記念館の建物はこれを模している

北里柴三郎と青山胤通や緒方正規ら東大閥との確執については、前にも触れたがこれらは歴史の一部になってしまったのか、北里の研究所であった歴史も東大医科学研究所の一部に取り込まれてしまった感がある。

北里研究所は医科学研究所から徒歩15分ほどの距離であり、北里研究所キャンパス内には北里柴三郎記念博物館(旧 北里柴三郎記念館)がある。

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊