近代医科学記念館は、東京メトロ南北線白金台駅下車徒歩1分の東京大学医科学研究所(旧 国立伝染病研究所)の敷地内ある。
北里柴三郎がドイツ留学中に帝国大学医科大学(現 東京大学医学部)の緒方正規(衛生学初代教授)の脚気細菌説を批判したことから、日本での活動に大きな制約がかかることになった。その窮地を救ったのが福沢諭吉である。福沢諭吉は、1892年、私立伝染病研究所を東京芝に設立し、北里柴三郎を所長に据えた。その後、愛宕町に移転し内務省所管の「国立伝染病研究所」になる。愛宕町の研究所が手狭になったことから現在の医科学研究所のある白金台へ移転するが、北里に無断で内務省の所管から文部省所管へ変わり東京帝国大学の下部組織(現 東大医科学研究所)になることになったことから、北里から伝染病研究所を辞し北里研究所(白金)を設立するのであった。この一連の出来事については、篠田達明著「闘う医魂 小説・北里柴三郎」に詳述されている
北里柴三郎と青山胤通や緒方正規ら東大閥との確執については、前にも触れたがこれらは歴史の一部になってしまったのか、北里の研究所であった歴史も東大医科学研究所の一部に取り込まれてしまった感がある。
北里研究所は医科学研究所から徒歩15分ほどの距離であり、北里研究所キャンパス内には北里柴三郎記念博物館(旧 北里柴三郎記念館)がある。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊