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医史跡、医資料館探訪記81 大阪、適塾再訪

2020年2月に適塾を訪ねており、当ブログ「医史跡、医資料館探訪記24 大阪、適塾を訪ねて」で詳述しているが、館内撮影禁止と勘違いし写真をほとんどアップしていなかった。今回、撮影禁止は一部資料に限ることがわかり再訪した。

建物入り口の案内板
緒方洪庵の木像
中庭
洪庵の肖像と「洪庵の学問」についてのパネル
緒方洪庵訳「人身窮理学小解」 窮理学は現代でいう主に物理学のこと
「病学通論」洪庵の最初の刊行著書 病理学の総論
1858年(安政5年)秋に大阪でコレラが流行した際に洪庵が緊急出版したコレラ治療書
洪庵の肖像
種痘医免許書
洪庵の両親の肖像
妻 八重の肖像 八重が塾生たちの面倒をみた
北浜、今橋両通りの屋敷割図 1856年(安政3年)
台所
洪庵旧宅ならびに塾の模型
杉田玄白の解体新書、山脇東洋の蔵志 蘆川桂洲(あしがわけいしゅう)の病名彙解
馬場佐十郎訳の露西亜牛痘全書 杉田立卿(りゅうけい)の外科新編図 宇田川玄随の内科撰要
三谷樸の解体発蒙 各務文献の整骨新書 越智原増の西洋製錬窮理 橋本宗吉の絲漢堂製煉秘訣(しかんどうせいれんひけつ)
岩橋善兵衛の平天儀図解 大黒天像  岩橋善兵衛 の平天儀 ジョン・ケイル原著の歴象新書

医学のみならず窮理学や天文学など蘭学全般に蔵書があることがわかる。洪庵が語学を重視し、適塾がオランダ語学塾の様相を呈していたことを物語る証左であろう。

当時の蘭学塾では、オランダ語文法のテキストとして「ガランマチカ」(和蘭文典 前編)が、文章論のテキストとして「セインタキス」(和蘭文典 後編)が広く活用されていた。適塾では初学者はまず「ガランマチカ」を学び素読を行う一方で、先輩塾生の講釈を聴いたという。「ガランマチカ」を終えると、次に「セインタキス」を同様に教えられたという。この2冊を理解できるようになってはじめて、蘭書の会読に参加できるようになり、本格的な蘭学の学習が始まるのであった。

会読の予習段階では、理解できない箇所があっても、他人に質問することはできず、適塾に備えられたゾーフ辞書を頼りに自習しなければならなかった。それでもなお疑問が解決できない場合は、より上級者向けとされたウェーランドの辞書を使用した。洪庵はこれらの書物の利用を推奨する一方で、ゾーフ部屋から持ち出しを禁止していた。塾生たちは辞書を奪い合うようにして勉学に励み、ゾーフ部屋には夜通し灯りがともっていたという。

左 ゾーフ・ハルマの蘭和辞書 右 ガランマチカ(和蘭文典 前編)
セインタキス(和蘭文典 後編)
奥の6畳間がゾーフの部屋
2階の大部屋 塾生たちの居室兼勉強部屋

福澤諭吉の「福翁自伝」には、適塾での生活の様子が書かれている。夏は文字通りの真っ裸で塾生たちは暮らしていた。福澤も裸でいたところに洪庵の妻 八重が現れて赤面した話もある。

今回、適塾に再訪できていろいろな資料に触れることができて良かったと思う。

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊